Episode of
Chikamori
#01
殻を破り、たどり着いた先の新たな景色を見る。

「高知から世界へ−」。かつて幕末の動乱を類まれな発想力と行動力で切り開いた坂本龍馬のように、高知から世界を目指して挑戦する近森産業。会社を率いるのが、公認会計士として東京で10年のキャリアを積み、創業者の父から事業承継した白木社長。現在はシンガポールに住みながら子育てと仕事を両立し、自ら世界を目指す姿勢を見せています。そんな旗振り役を支えるのが、柔らかな物腰とマネジメント力で現場を取りまとめる常務で夫の智博さん。「タイプは正反対」という2人に、近森産業のこれまでと今、そしてこれからについて語ってもらいました。
−東京で公認会計士として働き、高知にUターン。もともとお父様から会社を引き継ぐつもりだったのでしょうか。
- 白木久
- 父からは継がなくていいと言われていましたが、その時が来るかもしれないと思い、数字や経営に強くなるために公認会計士の資格を取りました。当時、監査法人で働きながら子どもが欲しくて妊活をしたかったのですが、仕事が忙しすぎて難しくて…。そんな時、父に「そろそろ帰ってこないか」と言われ、2013年に高知に帰ることにしました。
- 白木智
- そのタイミングで、夫婦で高知に帰ることにしたのですが、妻は近森産業に入社し、私はもともと塾の運営をしていたので、前会長(義父)が近森産業とは別に経営を手がけている高知中央高校に入ることになりました。そこで教務や進路指導とかの仕事をしていて、2年前に常務として近森産業に入りました。
−社長就任されたのが2016年。当時の近森産業は経営状態や組織としてはどういう状況だったのでしょうか。
- 白木久
- 当時、近森産業の損益計算書を見せてもらったら全事業の半分くらいは利益が出ていたけど、残り半分は赤字で驚きました。そこから会計士の経験を活かし、不採算部門を一つずつ閉めていったんですが、最初は当時専務だった母や多くの社員にも反対され、大変でしたね。でも、人間の体で言うとすごい怪我をして血液がダラダラ流れている状態だったので、お医者さんみたいな気持ちでやっていました。部門を閉める選択は簡単ではありませんでしたが、次第に利益が出てくるようになりました。
近森産業の企業情報


−組織を変えてゆくために、会社のトップとして大切にされたことは。
- 白木久
- みんなが一つの目標に向かっていけるようになったら素敵だなと思い、その頃から「高知から世界へ」と言うようになりました。いきなり世界と言ったものですから、周囲は驚いたし、理解できなかったかもしれません。でも 、私の中には理由ではなく、直感があった。今思い返せば、大学生の頃にかつおめしが農林水産大臣賞を受賞し、それを持って父がシンガポールの展示会に行っていたのを間近で見ていたんです。世界に出ていきたいという父の思いがどこかに刷り込まれていたのかもしれません。

−白木社長の行動力は、先代から引き継がれているかもしれませんね。
- 白木智
- いや、私もどちらかと言えばアクセルタイプですけど、アクセルの性能が違いすぎて、妻から見たらブレーキに見えるというだけです。妻は、その点が振り切れていますから(笑)。
- 白木久
- 私はたどり着いた先の世界にはどんな人がいて、どんな景色が広がっているんだろうと気になると、行ってみないと気が済まなくなる。そして、その景色をみんなに見せたい、みんなで見たいと思うんです。でも、こういう性格なので最初は突っ走ってしまい、誰もついてこなくて(笑)。でも、会社は一人では何もできません。どれだけ同じ思いを持って一緒に進んでいけるかが大切だと感じています。周りの人たちに支えてもらいながら、徐々に社員に考えが浸透していくように努力しました。
2年前に夫が常務として加わってくれたのも大きかったです。彼は私とは真逆で、人の心を掴むことができる人。毎日、誰かの髪型が変わったことなど些細なことに気づけるんです。常務のおかげで、現場がうまく回るようになりました。
- 白木智
- 妻はこう言っていますが、会社経営にはアクセルを踏む人がいないと進んでいきませんからね。バランスを取ることも大切ですが、そればかりでなく、時には「えい!」と決めることが必要。決めたら、どうやってその目標に近づけるようにしていくかを考えればいい。それが私の役目です。自分自身がアクティブに動きつつも、現場の判断や役割は幹部をはじめとして若い社員の方々にどんどん任せていっています。

−近森産業にとって、ここ数年の変化は大きかったようですね。現在、社長自身がシンガポール在住というのも驚きですが、そういう形になったのは何がきっかけだったのでしょうか。
- 白木久
- 子どもたちに向こうの教育を受けさせたいと考えていました。ちょうどコロナ禍でもあり、会社の仕事も高知の自宅にいながらオンラインミーティングをしていたので、時差1時間のシンガポールなら日本の勤務時間をずらさずに仕事もできると思って、2023年に実行に移しました。
- 白木智
- 家族と離れて暮らすと同時に、私自身も仕事に集中できる時間も増え、外に出かけて営業に力を入れられるようになりました。海外のイベントにも行くと、そこでの反応が良くて「これはいけるな」と手応えを感じました。
そういういい流れが出てきたのも、貿易コンサルへ依頼してマーケティングも行うようになったのと同時に、長年使用してきた会社のロゴデザインを含めてHPのリニューアルであったり、世界に打って出るためにブランディングにも着手しました。蒔いた種が今年の春から一気に芽が出てきたように思います。
−社長の海外移住が、結果的に事業の世界進出につながったわけですね。現在、どういう取引が始まっていますか。
- 白木智
- シンガポールで開催される展示会などにも積極的に参加し、弊社の主力商品である「かつおめし」と「芋天粉」が、シンガポールの大手ショッピングサイトで買えるようになりました。かつおめしは、先代が展示会に行っていた頃は味が受け入れられなかったそうですが、和食文化がより浸透してきたのか、出汁や風味のおいしさに気づけてもらえて人気を集めるようになりました。

- 白木久
- この2年間で、実は夫にものすごい営業力があることがわかったんです。この人は、海外で言葉が通じない不安よりも、話しかけてコミュニケーションを取りたいという気持ちが勝ってしまうらしくて。本当におしゃべりが好きで、私は「口から生まれた口太郎」と呼んでいます(笑)。私たちは大学の同期でもあるのですが、大学の時でも彼がいるところには、後輩たちが自然と集まってくるんです。みんなのことを気にかけ、話しかけるからみんなが寄ってくる。どうやら人の気持ちが吹き出しになってわかるらしいです。
- 白木智
- それは言い過ぎだけど(笑)。でも、その人がどういうことに興味があるのか、何に困っているのかとかはわかる方かもしれません。私たちはお互いに完全に役割が違っていて、それがようやくこの2年で噛み合ってきたのかもしれません。ケンカすることも減りましたね(笑)。
金太郎本舗WEBサイト

−「高知から世界へ」と言い続けてきたことが、形になり始めていますね。大きな目標を掲げて前進する中で、変わるものもあれば変わらないものもあると思いますが、その点はいかがですか?
- 白木智
- そこに関しては、私が言いたいことがありまして。うちの商品は材料や製法にもこだわり、オリジナリティーがあって優れた商品なんですが、これまでは「高知では当たり前だから」と外にアピールすることが少なかった。私は県外の出身で、最近会社に入った人間なので素直にいいものを作っていると思うし、その素晴らしさをバイヤーさんに伝えています。
例えば、芋天粉もただの天ぷら粉じゃなく、塩と砂糖がバランスよく入っていてその粉で揚げるからこそ芋が美味しくなる。さらには、芋天をそれぞれの家でおやつとして食べてきた食文化がある。そのストーリーも織り交ぜながら伝えるようにしていると、バイヤーさんたちの反応もとてもいいんです。
- 白木久
- 商品自体は、変えていません。ずっと続けてきた味がありますから。かつおめしも、私が小学生くらいの頃に祖母が近森産業の工場を手伝っていて、その時に祖母が作った味です。もともと祖母は、親族が経営している近森病院の食堂をやっていて、病院で働く人たちが簡単に美味しく栄養をつけてほしいという思いで作ったそうです。
その話で思い出しましたが、父が近森産業を始めたのも、当時アメリカに行こうとしていた父を引き止めるために祖母が食堂経営を任せたことがきっかけでした。アメリカで見てきたカフェテリア形式を病院の食堂で再現し、それが目新しく人気を集めたそうです。そういう新しいことを仕掛けるところも、親子で変わっていないかもしれません。

−挑戦を続けている近森産業ですが、お二人がどのような未来を描かれているかを聞かせていただけますか。
- 白木智
- 海外に実際に行き、向こうで求められることもわかってきました。新商品を作る上でもそういうことを加味しながら、喜ばれるものを作っていきたい。対世界となったら高知のものに限らず、日本の食文化を発信できたらいいなとも思っています。それは国内においても販売エリアを拡大していくことにつながるかもしれません。こういう感覚も高知から世界に飛び出してみないと気づけなかったことです。
- 白木久
- 私は旗を掲げ、それを実現してくれているのが夫であり、社員のみんなです。夫には冗談半分でシンガポールをクリアしたら次はどこに行く?みたいに話していますが、この人はどんな課題でもそれを解決していくんですよ(笑)。その課題解決能力を存分に仕事に活かしてもらっています。
- 白木智
- その期待に私自身もそうですし、社員みんなに思いを共有し、応えていきたいですね。海外に出てみて自分自身も学びになりましたが、日本人って良い製品を作っていたら買ってもらえると信じているところがどこかあるんじゃないかと思うんです。でも、そんなことはなくて、知られなければ、選択肢に入らなければ買ってもらえない。良いものを作るのは当然。その上で作ったものや自分たちのことをもっと伝えていけたらと思っています。
- 白木久
- 時代の変化も早いですし、自分自身が海外に住んでみて、改めてそういうスピード感や世界の広さも感じています。近森産業がやってきたことを信じて堂々と高知の外へ出ていくことで、それが世界に認められ、地元高知を誇りに思うことにつながる。そんな好循環を起こしていけたらと思っています。
